[1]重義氏の父、航介氏の足跡

イツのゾーリンゲンに勝る刃物作りのために一生を捧げた、三条市の偉人
 岩崎重義氏の紹介をするには、氏の父であり、そして三条市の刃物の恩人でもある、日本刀を通じて刃物の科学的研究にその一生を捧げた故岩崎航介氏の紹介から始めなければならない。

 氏は、刃物の産地として名高い新潟県三条市で、世界を相手に手広くポケットナイフや多くの金物を輸出する刃物問屋を経営していた岩崎又造氏の二男として、明治36年この世に生を受ける。しかし、第一次大戦後、復興してきたドイツとの刃物商戦に敗れ、家業は大きく傾いてしまう。航介氏は「父の仇」ドイツのゾーリンゲンを負かすには、世界一といわれる「正宗」に代表される日本刀の秘密を解明してこそ、ゾーリンゲンに勝つ刃物を造ることができるのだと一念を燃やし、八幡大菩薩に願を懸ける。大正11年、航介氏、数え年19歳の時であった。

 日本刀の研究のためには、まず刀匠秘伝の古文書を読む必要性を強く感じた氏は東京帝国大学文学部国史学科に入学する。神奈川県は逗子開成中学校の講師で生活の糧を得ながらの苦学であったが、その間も刀剣研師、刀匠に入門し、刀の研ぎや鍛法を学ぶ。その後、更に日本刀の製法を科学的に解明すべく、今度は東大工学部冶金科に再入学、そして大学院でも研究を重ね、その在学中に著名刀匠、理容師と協同して優秀な西洋剃刀(かみそり)の試作研究を始める。

 長男重義氏が生れたのは冶金科在学中、昭和8年のことであり、昭和13年大学院修了時には、航介氏自身すでに36歳になっていた。昭和20年まで東大工学部の副手を勤める。



写真左は東大工学部冶金科時代、日本製鉄釜石工場実習旅行の写真

写真中央(クリックで拡大)が岩崎航介氏本人

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